209系ー置き換えレポートー第3回「廃車・・・そして209系各地へ」

第3回は、209系の廃車の動き、および各地への疎開、そして訓練車改造のおはなしについて説明いたします。


1.最初の廃車回送はウラ37

2007年12月14日。東大宮(操)にて長らく留置されていた編成のうち、ウラ37編成が、長野総合車輌センター所属EF64-1000と豊田区所属のクモヤ145-117の先導で、武蔵野線、中央線経由で長野に配給輸送された。この際、209系は中央線の狭小トンネル通過に対応するため、集電舟の撤去が行われている。長総に到着後、209系はモハユニットを除き、解体された。なお、このモハユニットは同センターで大宮支社向け訓練車に改造され、東大宮操で訓練車として活躍している。(後述)


2.209系900〜920番台の消滅

ウラ37編成の長野行きから1週間ほどあったのち、試作C編成であったウラ92編成が長野へ送られた。こちらについては、改造を行う計画は消滅したため、全車解体されている。また、ウラ91編成については、TKに一回入場、深夜に長野車両センターにおくられた。こちらも、全車解体され、見ることができなくなってしまった。その後、ウラ90編成も37、92編成と同じダイヤで長総へ回送、Tc209-901を除いたすべての車輌が解体された。


3.突然の計画変更ー房総・南武へ・・・

しばらく、209系は、長野総合車両センターへ配給輸送された後、全車解体されていた。しかし、2008年初頭ごろから先頭車を中心とした車両の保存が開始された。保存された209系は2両、4両などのまとまりで、留置された。このころに、房総、南武線への209系の転属計画が正式に浮上したものと思われる。その後、保存された209系は長野総合車輌センターで留置できる両数ではなくなってしまったため、改造待ちとして、直江津、尾久、郡山、桐生など工場が近い拠点に改造待ちとして疎開留置が行われることとなった。

4.209系・・・改造、疎開で各地へ!

3項で解説したように、209系は、2008年初頭ごろから現在にかけ、直江津、尾久、郡山、青森、桐生など工場が近い拠点に改造待ちとして疎開留置された。牽引機はEF64-1030、1031が充当され、あなや廃車回送そっくりの編成であったが、行われるたびに沿線は鉄で賑わっていた。また、2008年3月にはウラ37編成を改造した訓練車が出場、その後、ウラ19編成を改造した横浜、八王子向けの訓練車も相次いで登場した。このような改造・疎開が行われたことにより、JR東日本エリアの各地で209系が見られるようになった。


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